ものまね界の大御所・コージー冨田さんが失明!?のニュースが話題に。
かつてタモリさんや、笑福亭鶴瓶さんの完コピでお茶の間を笑わせてくれたあのコージー冨田さんが、視力低下という大きな壁に直面していたなんて、正直ショックでした。
この記事ではコージー冨田さんが現在、失明に近い視力低下に至った経緯や体調の変化、そして現在の活動について、わかりやすくまとめています。
- コージー冨田さんが失明したという真相
- コージー冨田さんの視力低下の原因
- いつから視力が落ちたのか
- コージー冨田さんの現在の芸能活動
コージー冨田 失明に近い視力低下の原因は糖尿病?

視力低下の原因は糖尿病の合併症
コージー冨田さんの視力が低下した主な原因は、長年患ってきた糖尿病による合併症です。
糖尿病は、血糖値が高い状態が続くことで、血管や神経にダメージを与えます。
特に細かい血管が集まっている目の網膜などは影響を受けやすく、視力が徐々に悪くなることがあります。
コージー冨田さんもこの影響を受け、数年前から視力が低下し、現在ではほとんど目が見えない状態になっているそうです。
(お見舞い)
— 菊田邦洋🟣 (@palaiso9) April 12, 2025
怖い…糖尿病失明=ものまね芸人「コージー冨田58歳」が糖尿病で6年ほど前から目がほとんど見えない状態。今や10人に1人が罹患の国民病。
photo: ステージでは“⚠️目が見えていると思われている”冨田さん本人の現在 pic.twitter.com/D572l2Z3Kk
あえて言ってないだけで、別に隠してきたわけじゃないですけど、糖尿病で目がほとんど見えていません。
AsageiBiz
視力の変化について公に話してこなかった理由も、包み隠さず説明しており、病気と向き合いながらも前向きに芸能活動を続けようとする姿勢が感じられますね。
コージー冨田の視力が低下した時期
コージー冨田さんの、具体的な視力低下の開始時期は明確に示されていませんが、以下の情報から推測できます。
これらの情報から、コージー冨田さんの視力が著しく低下し始めたのは、おおよそ52歳頃(2019年頃)だと考えられます。
糖尿病と診断されたのは26歳の頃
コージー冨田さんが糖尿病と診断されたのは26歳の頃。

とても若いときに、診断されたんですね。
当時、「やたらと喉が渇く」という違和感を覚えて病院で検査を受けたところ、なんと血糖値が基準値の110に対して270もあり、その場で糖尿病と診断されました。

糖尿病の初期症状で、喉が渇くといったのを良く聞きますね。
今でこそ健康に気をつけている印象のあるコージー冨田さんですが、当時の体重はなんと最大113キロ(身長172センチ)に達していたそうです。
原因として考えられるのは、やはり食生活の乱れでした。

好きなものを好きなだけ食べていた時期が、体に大きな負担をかけてしまったんでしょうね。
糖尿病の三大合併症は「しめじ」
コージー冨田さんは自身の体験を通して、糖尿病の合併症が「しめじ」の順で現れると説明しています。
コージー冨田さんが語る「しめじ」の合併症とは以下のようなものです。
順番 | 合併症 | 内容 |
---|
🟠 し(神経) | 神経障害 | 手足のしびれ、感覚の鈍さ、痛みなどが現れることがあります。 |
🟢 め(目) | 眼の障害 | 網膜に障害が出て視力が低下。失明の危険もあります。 |
🔵 じ(腎臓) | 腎臓の障害 | 腎機能が低下し、最終的に人工透析が必要になることも。 |
コージー冨田さんの場合、実際にこの順番で合併症が進行しているようです。
コージー冨田 芸能活動は継続中

コージー冨田さんは視力低下だけでなく、糖尿病の他の合併症も発症しており、週3回の人工透析を受けながら闘病生活を送っています。
しかし、このような困難な状況にもかかわらず、周囲のサポートを受けながら前向きに活動を続けています。
ナレーションの仕事については、視力がほとんどない現在でも続けています。
原稿の文字を自分で読むことはできませんが、誰かに読み上げてもらい、その内容を記憶してから収録に臨んでいるそうです。
ステージでは、立ち位置をしっかり確認するために、以前よりも丁寧にリハーサルを重ねているそうです。
舞台から客席へ移動する場面では、後輩の力を借りて、そっとサポートしてもらっているのだとか。
コージー冨田さん自身、ライブをとても大切にされていて、これからもお客さんの前でステージに立ち続けたいという強い思いを持っているそうです。
コージー冨田の代表的なものまね5選

対象者 | 特徴的なフレーズ | ものまねの特徴 |
---|---|---|
タモリ | 「あれっ?髪切った?」「んなぁーこたぁーない」 | オールバックにサングラス、声質や間の取り方を完璧に再現 |
島田紳助 | 「お前遅いねん来るのが」 | 関西弁や話し方を巧みに再現、トーク中心のものまね |
笑福亭鶴瓶 | 「ほぉ」「これや、これが自分の仕事や」「もっと、オモロなりたい」 | 関西弁を駆使した独特の話し方、声の抑揚を模倣 |
石橋貴明 | 「うるせーな!バーカ!」 | 声質や話し方、独特のリズム感を再現、トークを重視 |
桂歌丸 | 「女房がへそくり隠すとこ」 | 落語家としての特徴を捉え、独特の間と声を再現 |
コージー冨田さんといえば、タモリさんのものまねで一世を風靡した芸人として知られています。
特徴的な声や仕草を忠実に再現し、その完成度の高さには多くのファンが驚かされました。

コージー冨田さんのものまねレパートリーは非常に多彩で、100名以上の有名人のものまねを披露することができるそうです。
コージー冨田 プロフィールと経歴
コージー冨田 プロフィール
コージー冨田 経歴
コージー冨田さんは高校卒業後、地元の豊田市でトヨタの下請け工場に5年間勤務しました。
この頃から本名の冨田弘司名義で『森田一義アワー 笑っていいとも!』や『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』などの番組に出演し始めました。
年月日・年 | 出来事・受賞内容 | 詳細 |
---|---|---|
1997年9月3日 | 『笑っていいとも!』出演 | 「真夏のそっくり当てまショー」グランドチャンピオン大会に新人として出場。タモリさん本人の前でものまねを披露。 |
1997年 | 第28回『発表!日本ものまね大賞』 | グランプリを獲得し、プロのものまねタレントとして本格デビュー。 |
2001年 | 第38回ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞 | タモリさんのものまねで高く評価され、受賞に至る。 |
コージー冨田の弟もモノマネ芸人として活躍
コージー冨田さんの弟、冨田真司さんは「シンジー冨田」としてものまね芸人として活動しています。 コージー冨田さんのブログでも、弟のシンジー冨田さんについて触れられています。